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2009年3月

2009年3月27日 (金)

麻賀多神社-台方・船方-凄すぎるかも

一度、下見のつもりで成田市にある麻賀多神社に行ったことは以前書いたんだけど~、子供が香取神宮が楽しかったらしく、また何処かの神社へ連れて行ってというので、御朱印もらえるかな~と、再度、麻賀多神社に出かけましたcoldsweats01

でも、社務所には誰もいないし~連絡先に電話しても誰も出ないwobbly
せっかく来たのだから、台方と船方と二つあり、どちらが総社かと争っている?2社を訪れてみました。

どんな凄さかは最後を参照sign03

camera麻賀多神社-台方
以前は、境内に落ち葉が溜まりに溜まり、とても人が入れるような所ではなく、夏は雑草が背丈ほど生い茂っていたとのこと。
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camera麻賀多神社-船方
Dsc00591 Dsc00592 Dsc00593 Dsc00594 Dsc00595 Dsc00596 Dsc00598 Dsc00599 Dsc00600 Dsc00601 Dsc00603Dsc00602 しかし、御朱印はもらうことが出来ませんでしたが、麻賀多神社について検索したら、更に驚くべき事実がsign03

それは、下記のような内容です。

古代出雲文字発見など重要な詳しい説明

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2009年3月24日 (火)

仕事を変えることに、、、

まぁ、この時期に仕事が変わったり勤め先が変わったりが多い時期ではありますが、ご多聞にもれず僕も仕事が変わることになりましたthink

今度、どんな仕事を任せられるかは不明なんだけど~、一生懸命にとか真面目にとか努力とか、そ~いうのはかえって良い仕事が出来ないと自分に言い聞かせながら適当に頑張ることにしよ~とsweat01

吉田拓郎 - ガンバラナイけどいいでしょう

吉田拓郎 - 真夜中のタクシー

吉田拓郎 - 唇をかみしめて

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2009年3月18日 (水)

麻賀多神社に

仕事の帰りに、ずっと行きたいと思っていた神社№1の成田市台方1番地にある麻賀多神社に行ってきましたnote

なぜ一番行きたかったかは、御朱印の順番として香取・大戸ときたら次は麻賀多神社に決まっているんですnote
その下見として行ってきましたhappy01

香取神宮・大戸神社・麻賀多神社の関係というのが、太古のミステリーというか~ロマンというか~、実は僕はわかりません(笑)
とにかく香取神宮と麻賀多神社の間に鎮座し歴史学者が謎で重要と指摘する神社が我が大戸神社・・なの?

そして香取の神以前に北総を治めていた神が麻賀多神sign03
香取の神も麻賀多の神への遠慮がある、そんな凄い神社up

では、説明はいろいろとネット上にあるので~麻賀多神社の下見のcamerasweat01

Dsc00559 Dsc00560Dsc00562 Dsc00564 Dsc00557 Dsc00565 Dsc00566 Dsc00567 仕事帰りの短い時間でしたので再度、ゆっくりと見学に行きま~すnote

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2009年3月15日 (日)

大戸神社-御朱印

今日は昨日と違い朝から素晴らしい天気sun
Dsc00517こんな天気のいい日、洗車するには最高です。
と言っても洗車機に入れるんだけど良く落ちませんね~
泥がぴっちり付いたままでしたwobbly

まっ、クルマも洗車したことだし大戸神社へ。
先週、御朱印帖を購入したので、御朱印ってのをいただきに出かけましたcoldsweats01

大戸駅から坂を上り行くと、左手に本殿から見えてきます。

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はい、地元にある大戸神社で、氏子ですsweat01

大 戸 神 社 の 沿 革 お よ び 御 由 緒

 千葉県香取市大戸字宮本に御鎮座されており、御祭神は「天手力雄命」(あまのたぢからおのみこと)であります。

 社伝によると、12代景行天皇40年(111年)、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征(とうせい)の時、蝦夷(えざ)征討祈願のため現在の香取市大戸の地に勧請し、幾度かの遷宮(同地区内)の後、36代孝徳天皇自雉元年(650年)現在地に宮柱造営されたと伝えられております。

 江戸時代までは香取神宮の第一末社(明治時代摂社になる)でありましたが、応保2年(1162年)大禰宜職譲状に「末社大戸神主、並社領知行同譲与」とみえ、また、仁安2年(1167年)大禰宜真房の譲状にも「末社大戸宮社領壱所事、並件社家進止事」などの記録があるところから、香取神宮の付属社でありました。しかし、他の末社とは事情が全く違い、古い時代から神領も香取・大戸と区分され、近世も別々に神主、大禰宜(おおねぎ)その他神官がいて(神官26人と社僧8人の合計34人が当社に関係していました。「天明7年(1787年)の当社古文書より」)祭事は神官にならい、すべて大戸で執り行いました。

 また、社伝では源義家が奥羽征討の時、その六男、義隆(陸奥六郎)は父に従い当社に参詣し、刀一口を奉献しました。正応2年(1289年)および明徳4年(1393年)、両年に社殿造営の記録があり、後小松天皇の時、社領一萬貫を定められました。しかし、中世の武家紛争時代のため、兵乱にかかるところが多く、古文書など散失し、詳細については不明であります。

 天正18年(1590年)、豊臣が関東を征した時、その武将浅野長政・木村重詮(常陸介)は、大戸荘内六力村の神領において軍士の乱暴放火などを厳禁する制令を下しました。同年徳川氏入国の後、香取神宮朱印地1,000石の内から100石を分配され、宝永4年(1707年)徳川幕府将軍綱吉の手によって社殿を改造されました。これが現在の社殿であります。

 また、神仏混合時代においては、神宮寺が同所付近にあって当社を管理、別当神宮寺は新義真言宗に属し、もと迫野にあった惣寺院の末寺でありましたが、幕末から明治初年に廃寺となりました。

 当社は、明治6年(1873年)県社に列せられ、同29年(1896年)12月には官から幣僕料の供進指定神社となっています。毎年4月7日の例祭には、神社本庁より献幣使の御参向を仰ぎます。

 往時は香取郡中の総鎮守でありましたが、今日では、地元東大戸地区を始め、香西地区、新島地区、北佐原地区、牧野・高野橋替地区、旧大栄町地区、旧栗源町地区、茨城県旧東町地区の各々一部地区にわたる56地区(約4,000世帯)が氏子であります。そして、五穀豊穣・家内安全守護・交通安全守護・商業繁栄の祖神として広く信仰されております。

 かつては年間45回を数える祭事が行われ、その一つに利根川に御祓いする「御船木流し祭」がありました。大戸川地区(現在の大戸川団地前)にある「御休み所」と称する地は、この祭事の時、神輿(みこし)が御旅所(おたびしょ)としたところであるといわれております。

 御神宝としては「集古十種」(八五巻、松平定信編、社寺などにあった古文書・古器物・碑銘などを模写して編さんした図録。明治になってから刊行)にもある「籠目太刀(かごめのたち)」一口。千葉県重要文化財指定の嘉磨3年(1328年)在銘の古面「羅龍王面(らりょうおうめん)・納曽利面(なそりめん)」など4面。同じく同指定の重要美術品「和鏡」3面、古文書などがあります。

 社殿は本殿・中殿・拝殿からなり、その他境内には神楽殿・宝庫・社務所・神輿奉安殿・氏子会館 等々があります。大正5年(1916年)5月、御大礼記念として予算3,000円で社屋及び大草表を改修しました。さらに昭和35年(1960年)4月9日、付近の火災で本殿の屋根一部を類焼したため、屋根は総銅板葺とし、鳥居もコンクリート造となり、同翌年(36年)8月竣工致しました。

 そして、平成15年(2003年)10月、60年に一度の「神事祭」が氏子の皆様方及び崇敬者の方々多数の御協賛・御協力により盛大かつ厳粛に斎行されました。記念事業として本殿・拝殿の彩色塗装および一部補修、神輿修復、玉垣屋根の総銅板葺さらには大戸川の「御休み所」の記念碑新築、鳥居新築等々が全て完遂致しました。

 なお、境内には18社の末社があります。
主な末社は、道祖神三社・浅間神社二社・水神大神・高房神社・白幡神社・稲荷大神二社・大天神社・側高神社・神明神社・豊受皇大神宮・日大神社・癌瘡神社・足尾神社・日吉神社 等々です。

5_2 Dsc00530置いてあったパンフレットから書き写しました(笑)

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6 7 写真は腐るほど撮りましたが、こんなとこにしておいて、宮司さんのところへ御朱印をいただきに伺いましたが、留守sad

仕方ないので家に帰ることに。すると対向で宮司さんがすれ違いましたので再度、神社へcoldsweats01

で、御朱印をいだきました。そして、代金は300円ですかと尋ねたら、「商売じゃないから、賽銭箱にどうぞ」と。

ほんとは、なんと言って御朱印代を払えばいいのだろ?

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2009年3月14日 (土)

香取市(小見川町)野田の初午祭を見学

今日は昨夜からの嵐で朝から風とrain雨がひどかった~。それでも熱帯魚水槽の水替えをしないとと2週間ぶりに雨の中を外の井戸水蛇口に行ったり来たりsweat01

水替え終了後は佐倉の国立歴史民俗博物館へ。
Dsc00504 Dsc00505 Dsc00506 実は女房の付き合いで佐倉に用事があって行ったんだけど、その間の1時間ほどの入館でしたcoldsweats01

帰ってくると既に夕方近く。
でも、雨もほとんど降っていない感じになってきたので、もともと予定していた旧・小見川町の野田地区の神輿を見学に娘を連れ出かけましたhappy01

見学したのは、野田・稲生神社-初午祭なのですが、この稲生神社には別名があります
というか~、そちらの名前が有名。ここで、その神社名は伏せますが、何か悲しい物語があるような、そんな神社名なのです。

子供神輿を発見しましたが、休憩中で大人神輿はいませんでした。
でも、近くにいるらしいというので、そちらまで行って見学できました。

Dsc00508 Dsc00509 Dsc00511 Dsc00513 Dsc00515 Dsc00516 この神輿、なんか普通のものと違います。何が違うって、担ぎ棒が、どんな仕掛けなのか台輪に縦横入っているんですsign03

下から覗いたんですが、既に暗くて見えません。どうなっているのかな~sign02

そして、神輿見物をしていると僕の名前を呼ぶ知らないオジサン?
誰? こんなところに知り合いなんていないのに~despair

( ‥) ン? 娘に言ってる? 娘も、「どこかで見たよ~な~?」と考えています。
「あれ~、教頭先生に似ている」と。

ありゃま、小学校の教頭先生でした~coldsweats01

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小見川町(香取市)野田-稲生神社-初午祭

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2009年3月 8日 (日)

香取神宮・下総國一の宮-御朱印

今日は、御朱印帖が欲しいので文房具店ではなく格式高い神宮のものをいただきに香取神宮に行きましたnote
 ※(明治以前に「神宮」の称号を与えられていたのは、伊勢・香取・鹿島のみというわが国屈指の名社)
 宝物の中には、国宝の海獣葡萄鏡や重要文化財の古瀬戸横涌釉狛犬、双竜鏡があり、国・県指定の文化財だけでも200点余。

香 取 神 官 御 由 緒

鎮座地
   千葉県香取市香取

御祭神
   経津主大神(フツヌシノオオカミ二)又の御名伊波比主命イハヒヌシノミコト

御事歴
   大神は天照大御神の御神意を奉じて、鹿島の大神と共に出雲国の大国主命と御交渉の結果、円満裡に国土を皇孫に捧げ奉らしめ、更に国内を御幸して荒振る神々を御平定され、日本建国の基を御築きになり、叉東国開拓の大業を完遂せられて、平和国家の建設と民生の安定福祉に偉大なる御神威を顕わされた。

御神徳
   古来国家鎮護の神として皇室の御崇敬最も篤く、特に 「神宮」 の御称号を以て奉祀され、名神大社として下総国の一の宮である。明治以後の社格制では官幣大社に列せられ、その後勅祭杜に治定せられて今日に至っている。
 奈良の春日大社、宮城の堕竃神社を始めとして、香取大神を御祭神とする神社は全国各地に及んでおり、昔からの伊勢の上参宮に対し下参宮と云われ、広く上下の尊崇をあつめて居る。又、一般からは産業(農業・商工業) 指導の神、海上守護の神或は心願成就、縁結、安産の神として深く信仰されている。尚その武徳は平和、外交の祖神と敬われ、勝運の神、交通安全の神、招火難除けの神として有名である。

御社殿   宮柱の創建は神武天皇御字十八年なる由香取古文書に記されている。
去る昭和三十三年四月御鎮座二千六百年祭が盛儀を以って斎行せられた。古くは伊勢神宮と同様式年御造営の制度により、御本殿を二十年毎に造替されたのであるが現在の御社殿 (本殿・楼門・祈祷殿) は元禄十三年 (西暦一七〇〇年) 徳川綱吉の造営に依るものである。昭和十五年国費により拝殿の改築と共に御本殿以下各社殿を御修営し、その後昭和五十二年から三年の歳月を懸けて御屋根葺替・漆塗替が行われた。
構造は本殿 (重要文化財)、中殿、拝殿相連れる所謂権現造である。

境  内   香取の神域は大槻郷亀甲山と呼ばれ県の天然記念物に指定され、その面積は123,000平方米(約三万七千余坪) で他に境外社有地がある。神城内は老杉欝蒼として森厳の気自ら襟を正きしめる。
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ここからが香取神宮参拝記coldsweats01

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県道に跨っている一の鳥居をくぐり2キロ位先の香取神宮の無料駐車場(これ重要)、そして参道前の茶屋。

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二の鳥居から小石で出来た総門へと向かう緩い上りの少し長い参道。

7 8 9 10 1112 総門前の鳥居と神徳館前にある崩れそうに古い門sweat01 そして朱の色が鮮やかな総門と手水舎。娘たちも手を洗わずに水を飲んでましたcoldsweats01

14 15 16 そして、国の重要文化財としての桜門へ到着。朱色の門の入り口から覗く香取神宮の拝殿の黒とのコントラストが素晴らしいgoodshine
(黒は最も格式高い色とされている)

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そして拝殿と御神木など。

21 22 こちらは、以前使用されていた昔の拝殿で現在は神楽殿と国の重要文化財の御本殿shine

あとは、宝庫等の写真です.

23 24 25 26 27 28 2930 31 32 ( ‥) ン? 匝瑳神社。 香取神宮の親神? それって何? 返田の返田神社は香取神宮のお姉さん神様だと地元の人が言ってたし~、親とか兄弟とかが神様にもあるのね。

御朱印帖と御朱印をいただいたんですが、sprinkle雨がポツポツときて体が濡れ始めてしまったので駐車場へ。通常なら、要石と奥の宮は撮影したいところですが仕方ありませんhappy02

しかし、まだ撮影していない津宮の鳥居河岸へcardash向かいました。

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鳥居から遠くに望む小高い山が昔の対岸付近で常陸国。そう、現在利根川ですが、太古の昔ここは、香取の海と呼ばれた内海でした。

ようやく、ここで本日入手した本題の御朱印帖の登場ですcoldsweats01
これだけのことに、長過ぎの意味のない写真群sweat02

Dsc00503 Photo

なんか、嬉しいです。この御朱印帖ってのhappy01

また、どこかの神社でいただこうっとnote

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2009年3月 6日 (金)

インサイトって現物カッコイイ♪

ホンダ・インサイト。ショー・ルームというかディーラー前にステッカー等つけて展示してあるんだけど~、勤め先に誰かが購入したのでしょう、シルバーのインサイトを乗ってきて駐車してありました♪

ディーラーなんかに置いてあるのと違い、他のクルマとの比較も容易だし、その現物のカッコ良さというか、まるで、スポーツカーのように華麗で流線型というかスポーティーというか~、某メーカーの○リ○スと比較されることが多いですが、まるで土俵の違うスポーティーな雰囲気heart04 もう、ほれぼれですlovely01xga

なんと、低いことか、なんとドレッシー(死語?)なことか、なんとスポーティーなことかup

もちろん(見て⇒)無限インサイトは更にスポーティーな雰囲気dash

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2009年3月 1日 (日)

織幡の祭りを見学?

今日は香取市織幡(旧・小見川町)の祭りだと門前人さんが言っていたので昼の2時頃に出掛けました。
ちょうど神輿が出発したようで、いいタイミングだな~♪って思って、歩いていたお婆ちゃんに何時まで祭りは行うのと聞いたら、「もう終わったよ。さっきまで踊りで賑わっていたけど」と。

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Σ(゜◇゜;) ゲッ 終わったとこに来たの?
でも、踊りがメインの祭りなのかな~。なら神輿の撮影はバッチリですscissors
mobilephone携帯撮影なので、うまく撮れていないけど~sweat01

香取市(小見川町) - 織幡の神輿祭? -

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